本との付き合いを小学生時代から振り返るのは楽しかったよ

読んだ本を振り返るというのは自分の精神史を振り返るということだ、などと格好いいことを言いたいが、俺は世界史ではなく人間なので精神史という大それた名前の付くものは持っておらず、結局おもしれー本が好きなだけであるという事実を再確認しただけなのでした。きっとここに列挙されていない本も俺の骨肉になって今を生きている、などと言いたいが文芸書にそんな効用を期待していいのだろうか、単に人生におけるデジャヴが増えるだけなのではないか。どう思う?

 

小学校〜中学校〜高校〜大学各回といった構成になっております。多分俺以外が読んでもそこまで楽しくない6000文字強、読んでくれる人はいるのだろうか。そこまで本の内容には踏み込んでいないつもりだが、本当に思い出深いものは語ってしまっているかもしれない。

名前を挙げている作家はどの本が好きか聞かれたら答えられるレベルの作家だと思われる。大学以降は作家読みしなくなったので適用されない規定ですが。

 

こうして見ると本を読むようになったのはひとえに環境のおかげだったように思うな、小中時代は親が本は勉強になるからと言って買ってくれていたのだよな。実際読んでいた本を見ると全く勉強になりそうもないものばかりだが、読書の習慣というものが大事だったのかもしれない。

 

小学校低学年 原始の時代

母が編み物やガーデニングの本を探しに行く際に一緒に図書館に行ってはどっさりと借りてきていた。みんなが読んでいるゾロリやら図鑑やらを読んでいたのだろうと思う。そんなに記憶はないが、本というものに触れるための下地になっているのだろうと思う。

 

小学校中学年 黎明期

私はこの頃から任天堂DSばかりやっていて「ゲーム中毒!」などと言って親に罵られていたが決してゲームを止めることはなかった。そんな私に、親は本を与えるということを思いついたのか、当時はまだ新しかったレーベルの角川つばさ文庫を買い与えてくれた。「ぼくら」シリーズや『ブレイブ・ストーリー』に挿絵を付けて出版しているようなレーベルである。「ぼくら」シリーズは刊行速度が遅くて結局ハードカバーのものを図書館で借りて読んだが、ブレイブストーリーはリアルな挿絵が好きでつばさ文庫版をわざわざ待って読んでいた。他には古代中国と日本を意識したような時代が舞台のファンタジー『蒼き里の伝説』とか、誰も知らないだろうなと思う。

「ぼくら」シリーズといえば菊池と相原が出てくるものを想像する人が多いかと思うが、一番好きだったのは登場人物が全く異なる横浜開港編だった*1。横浜開港編は子供が大人に立ち向かうという点では同じなのだが、オカルティックな要素が多くてファンタジーのような面白さがあったと記憶している。

 

姉がいたので青い鳥文庫の『パセリ伝説』が自宅にあって、読んだが内容は全く記憶にない。少女向けではあるもののどこのレーベルか記憶にない『妖怪ナビ・ルナ』は好きだった。途中でレーベルが変わったような記憶だけある。

 

ハリポタも自宅にあって読んだような気がするのだがそこまでハマらなかった。この後に別の海外児童文学にドハマりしてしまったのと、読む年齢が少し早すぎたのも関係しているかもしれない。

 

高学年〜中学生 黄金時代

文芸黄金時代であったこの時代でしたが文芸に移る前に児童文学の話を一つ。

『パーシージャクソンとオリンポスの神々』にかなりハマっていた。ギリシア神は文明の中心に君臨するのだ、今の世界の中心はアメリカだから神はアメリカにおり、神の在しますオリンポス山エンパイアステートビルである、というようなトンデモ設定の本である。ギリシア神は神話の通りアメリカでも人間と恋して子を設けるが、神と人のハーフでである子供は怪物(ケンタウルスとか)に狙われる、というのも彼らは怪物を倒すだけの力を持っているため。子供たちは自分がハーフであることを知らずに過ごすが、中学生くらいになると成り行きでハーフの集まるコミュニティにたどり着く。

そこは「ハーフの丘」と呼ばれ、怪物と戦う訓練をするのだが、ハーフはデルフォイの神託を受けると旅に出なくてはならず…と言った感じで、冒険ものである。ただし冒険するのは現代アメリカ。巻末に冒険ルートが載っていて、参照しながら読むのが面白かった。平気で東西横断したりする。

俳句を詠むアポロン、アル中のデュオニュソス、冥界の維持にあくせくするハデスといった調子で神にも神話を上手く脚色した印象的な個性が与えられていたり、ハーフが怪物と戦う際には「かの英雄はこの怪物をどうやって倒したんだっけ…」と思い出したりするシーン(攻略法を知っているなんて異世界転生か?)が記憶に残っている。おかげでギリシア神話の知識はこの本から得ていた。

子供向けとはいえども、直接には触れないものの差別やら格差やらの問題を意識して書かれていたように思う。アメリカならではといった感じ。

 

第二部とも言える『オリンポスの神々と7人の英雄』が翻訳で完結したのは高校生の時で実は発売してすぐ読んでいた。ギリシア神はローマだと異なる個性を表すそうなのだが、このシリーズはローマ側の個性に着目したシリーズ。神の存在を脅かす、第一部よりも強大な敵が現れギリシア側のハーフとローマ側のハーフが協力して戦っていく。舞台はアメリカなのだが。

第三部があるという話も小耳に挟んでいるが、読んでいない。翻訳が出版されているかどうかも知らない。書店で洋書をパラ見したが、アポロンだかヘルメスだかが「痛って…ゼウスを怒らせたら雷で地面に叩きつけられちゃったよ…って人間になってる!?」という感じの始まりだった。面白そうではある。もしも子供ができるようなことがあれば読む読まないに関わらず買い与えると思う(自分が読みたいので)。

 

文芸の話に。

大衆小説と呼ばれるようなものを小学校高学年くらいで読むようになっていた気がする。角川文庫の初心者向けアンソロジーのシリーズ『君が見つける物語』を読んで、その中で面白かった作家の本を読むという、小学生ながら賢い本の探し方をしていた。確実にこのアンソロジーから読んだ記憶があるのが石田衣良池袋ウエストゲートパーク』、米澤穂信の「小市民」シリーズ、初野晴『退出ゲーム』に始まる「ハルチカ」シリーズ。シリーズものだけじゃなくて作家もここから探していたように思う。乙一東野圭吾有川浩、他にももっと居ると思うが思い出せるのはそのくらい。

一人ひとりの話をすると長くなるので印象的なものだけ触れる。

越谷オサムの短編集『金曜のバカ』収録の『星とミルクティー』がかなり好きだった。妻の出産に立ち会うために電車で道を急ぐ男が、学生時代の流星観測の日に出会った女の子を思い出す話。そんな場合じゃないだろ、というツッコミも含めて是非読んでほしい。

乙一が読者の短編を大幅に手直しして出版した『箱庭図書館』収録の『ホワイト・ステップ』も大好き。ホラー作家としての印象が強い乙一もこんなにロマンチックな話を書けるのか、と思った。

この頃は親が買ってくれた本を暗記するくらいに読んでいた。そのため内容までしっかり覚えている本が多い。大衆小説を読み返すって、と今は思ってしまうが、小学生だったからな。

記憶が鮮明なことも含めて黄金時代である。

 

中学入りたての頃、海堂尊の本にハマった。ご存知の人も多いかもしれないが、彼の著作群は桜宮サーガと呼ばれており、桜宮市を舞台として過去、未来、現在を描く壮大なシリーズとなっている。『ブラックぺアン』シリーズが90年前後、「バチスタ」シリーズと他の多くの著作が現代(当時なのでゼロ〜10年前後)、『モルフェウスの領域』と『医学のたまご』『夢見る黄金地球儀』あたりが未来か。それぞれ登場人物が全て共通なのでハマったら全て読みたくなるという沼の世界である。

世間では映像化されたバチスタとブラックペアンあたりだけが有名な気がするが、本当に面白いのはこれらのシリーズを読んだ上で読む『螺鈿迷宮』『輝天炎上』である。輝天炎上は海堂尊の世界に終止符を打つような作品で、発売した時にはめちゃめちゃ興奮しながら読んだな…病院がブラックペアンの時代から隠してきた呪いとも言える医療ミスが病院に復讐を始めるのだ。逆に全作品読んでいないと面白くないんじゃないかと思うくらいに全ての伏線を回収していた。舞台が桜宮でない『極北ラプソディ』のシリーズなんかも少々絡んでいた気がする。

公式が人物相関図を作り始めるくらいには登場人物が入り乱れている。設定のズレを解消するために『モルフェウスの領域』が書かれたというエピソードが存在するくらいである。正直ラノベだよな。読み返したりはしなかった。

実は映像化は見たことがない。

 

森見登美彦との出会いも中学校であった。図書室で『四畳半神話体系』を借りてどハマりしてしまい、ブックオフで彼の著作を買い漁った。何も考えずに私が京大に行く原因となった作家であるため今となっては憎んですらいるのだが(責任転嫁はやめてください!)、とにかく大好きだったよなあ。今となっては彼の作品は全く読まず、映像化作品のみを楽しんでいるが、確かに『夜行』はちゃらんぽらんとしてなくて好きだな。『夜行』を読み返したら『熱帯』も読もうかな、と思う。

彼の教えてくれた京都大学は然るべきサークルに入れば体験できるものだと思う。

 

 

 

高校 暗黒時代

ソシャゲのカスだったのでそこまで本は読まなかったし、なんならラノベに退行していた時期もあった。自転車の行動範囲内に書店が存在せず、本屋に行く機会が少なかった私に親は本屋に行くと本を買い与えてくれていたが、都会の高校に行ったおかげで学校帰りに自分で書店に寄るようになった。おかげで親の検閲もなく本を買えるようになり、しょーもないものを選ぶ頻度が増えたのかなと思う。『とある』『とらドラ!』『デュラララ』等。デュラに関しては親父がハマっちゃって親父が買ってきていたけれど。

この頃始まったライト文庫のレーベル新潮nexをよく読んでいた。というのも、中学生の頃定期購読していた新潮の文芸誌yomyomの誌面に載っていた作品がこのレーベルで文庫化されるパターンが多かったため。「階段島」シリーズ、竹宮ゆゆこ知らない映画のサントラを聴く』などを読んでいたような気がする。類するものとして「ビブリア古書堂」や「タレーラン」など。

他にも大衆小説っぽいものを読んでいたがあまり覚えていない。『判決はCMの後で』という訴訟が劇場化した世界の裁判を描く小説は面白かったな、多分作者は「浜村渚の計算ノート」の人。

あとは医療ミステリの知念美希人も好きで読んでいたが、伏線がバレバレorセコい解決方法が多くて読むのを止めてしまった。ミステリとしては嫌いですが、泣かせる話を書いているイメージがあります。『優しい死神の飼い方』が好き。自称死神のゴールデンレトリバーホスピス病棟に舞い降りる話だ。

 

イキって数学ガールを眺めていたが、数学に目覚めることはなかった。

 

軽めのものを読む反面、文学と呼ばれるものに手を出し始めたのもこの時期であったように思う。図書館で借りて読んでいたため自分が何を読んでいたのか記憶から抜け落ちている部分も多いのだが、モーパッサン永井荷風は覚えている。他に青空文庫で谷崎の『春琴抄』を読んで興奮したり、『戦争と平和』に挫折したりした。

この頃、読書を一度始めてしまうと他のことに手が付かなくなってしまう人間になってしまった。徹夜して授業中寝たり、勉強もうわの空になったり。そのような事情もあって自分から読書を差し控えるようになってしまったという事情がある。今でも一気読みの癖は抜けず、長期的に読書をつづけるというのがどうにも苦手で、長編小説は途中で読まなくなりがち。

 

洋書読んでたな。サピエンス全史とかサンデルの『それをお金で買いますか』など。頭よかったなーあの頃の俺。下宿に持ってきてはいるものの、開いたことはなく絶対に読めなくなっている。学部2回生までカスみたいな生活を送っていたので。

 

ホーガンのSFや伊藤計劃を読んで「カッケー!」と思ったのは高校も卒業する間際だったかな。

 

大学一回生 再び文明の時代?

暇が増えて読書をする時間が増えるものだと思っていたが、そういうわけでもなく、真剣に本を読んでいたのは前期の間だけだったような気がする。某文芸サークルの読書会に参加しようと思い、参加できそうな日程の本を読もうと思い出会ったのがミシェル・ウェルベックである。私は彼の書く小説の痛みにハマってしまい、気づけば著作をコンプリートしそうな勢いで読んでしまったのだった。ウェルベックは世界を解剖した結果としてあのペシミスティックな結論にたどり着いたわけで、私たちのようになんとなくペシミスティックをやっている者よりも説得力があった。価値観を揺さぶる読書体験だった。

再び本を読むようになった時代なのかもしれないが、この頃は歌集を買って読んでいたためそこまで文芸は読んでいなかったように思う。歌集は中古市場にも出回らないし、新品で買うと高額なのだが毎月のように買っていた。

 

レ・ミゼラブル』だったり『三銃士』といったフランスのロマンな感じの文学に触れた。日本語で読んでも仕方ないよなあ、なんて思っているがフランス語は圧倒的に語彙がないため習得したとも言えず読めるはずがない。

A・クロウリーの『麻薬常用者の日記』を読んだりする。ちょうど国書刊行会で復刊されたものが生協にあって欲しくなってしまって自宅にある。正直よく分からんかったからまた読もうかなと思う。

ブラッドベリを読む。「霧笛」が好き。

 

後期はろくろを回ることだけに集中して生きていたため読書せず。

 

二回生 豊作の年

サークルと距離を置くという出来事があり、これまでサークルに費やしていた時間の多くを読書に充てるようになったのだろうか、読書量は増えた。

一生愛読し続けるであろう本に出会った年だった。ウェルベック以外が見つかってよかったと安堵している。

クンデラ『存在の耐えられない軽さ』とG・マルケス百年の孤独』はそれぞれ別のベクトルの良さがあって最高なのだ。『存在の耐えられない軽さ』は愛がテーマと言われているけれど、物語を通じて語られる人生における重さと軽さについての考察にドキッとしてしまう。示唆するものが多くて何度でも読める小説だと思う。『百年の孤独』は単純に面白い。すんごく面白い。いろいろな小説に影響を与えていることがよくわかる一冊で、ストーリーの怒涛の奔流の中には読むたびに新しい発見があるのではないかと思う。

 

市の図書館のカードを作ったために読書が捗った。宮内悠介という作家の本が非常に面白かった。『偶然の聖地』『あとは野となれ大和撫子』など。SF作家つながりで、伴名練という作家の『なめらかな世界と、その敵』を購入して読んだが全人類に勧めたいSFだった。持っていきたい結末のために舞台設定を考えているのではないかと錯覚するほどに鮮やかな結末が多い短編集。

他には歌集をよく借りていいた。好きだなあ、と思うのは大森静佳と九螺ささら。短歌を知ったばかりの時に歌集を買っていたため家にあるのはキャッチーなものばかりなのだが、この二人の歌集は図書館で読んで良かったので買った。素敵で分かるようになりたい歌たち…

 

ところで、百年の孤独を読むきっかげが桜庭一樹である。大衆小説大好きっ子だった私はなぜだか彼女の本を読んだことがなく、去年急に読み始めて案の定好きになった。

 

 

 

よく覚えている本はパラニューク『ファイト・クラブ』、G・マルケス『族長の秋』、M・コーニィ『ハローサマー、グッドバイ』、テッド・チャンあなたの人生の物語』など。

こうしてみると大学に入ってからは外国文学ばかり読んでいるんですよね、おかげさまで日本人の素敵な文章に触れる機会がめっきり減ってしまった。

 

三回生 現在

これから読むであろう本たち

谷崎『細雪』を今読んでいて、クンデラ『不滅』が積読にあり、谷崎訳の源氏物語を読みたいなと思っている。これだけでもう精一杯なのだが、素敵な本はまだまだたくさんあると思うので俺は読書をやめたくないですね、忙しくても読書をやめない人間になりたい。しかし5月はめっきり本を読まず、難しい目標ではある。軽めの本を読む頻度を増やせば解決できる問題なのかもしれない。

オススメの本があったらオススメポイントと共に教えてくださいな。雑食だからなんでも読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:『ぼくらの奇跡の七日間』から始まる全三巻